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音楽・ドイツ語

2017年10月18日 (水)

Andiamo Part2 (7/21)

「~第1回 World Wideに活躍する演奏家の世代を超えた共演~」とのサブタイトルがつく。

詳細はこちら にまだあるけれど、リンク切れしてしまったらごめんなさいで、そしてこのブログには演奏の感想はほぼない・・・と思う。

2001年に仙台のコンクール で私は「スヴェトリン・ルセフ」というヴァイオリニストを知った。あの頃とても親しくしていた友がコンクールの事務局にいた関係で、知ることができたのだが、彼が優勝しら時のチャイコンは、少しおすましのフランス風チャイコンだった。

(セミファイナルのショスタコが凄かったとは、その後知り合ったルセフファンから聞いた。彼女が生まれて初めて思わずスタンディングをしてしまったとの演奏は、今でも語り草・・・一部的にだけどさ。)

記憶が定かではないのだが、コンクールの優勝者には副賞として、王子ホールでのリサイタルと、ガラコンンとは別に、コンクールオケとの演奏会があったと思う。その演奏会が、毎年すみだトリフォニーで開催される「地方オケフェス」と重なり、あ・・・そのブログは破棄してしまった最初のだった・・・。

とにかくそれは(多分)2002年の3月で、そこで聴いたチャイコンで私は「ぶっ飛んだ」。それ以外に表現する言葉を持たないなぁ。そして、その時の彼のステージマナー(立ち姿)にも、いたく感銘を受けたのだった。

好みの話ではあるが、ステージ上で落ち着きのない演奏家は、聴く側も注意力がそがれる。皆それぞれの演奏スタイルとしての「動き」はあるけれど、そうでないものもある気がするんだな。そして私はどちらかといえば「仁王立ち」的な人が好きだ。

(某王子がそうなんですね。立って演奏することはそれほどないポジションの御方なので、初めてそれを見ると、皆様驚くらしい。でも素敵だわよ。)

まぁ、なんやかやで、来日した時には、何とか時間を作って聴きに行っていたのですが、霧島国際音楽祭で、今宵のピアニストの大須賀氏とご縁ができ、このような演奏会ができる運びとなった次第であります。

大須賀氏に感謝感謝。

そして次回もあることを願って。

2017年10月11日 (水)

ラ・ルーチェ弦楽八重奏団 vol.4(7/12)

メンバー(敬称略)。

大江 馨、城戸かれん、小林壱成、毛利文香(以上ヴァイオリン)
有田朋央、田原綾子(以上ヴィオラ)
伊東 裕、笹沼 樹(以上チェロ)

お品書き(公式ツイッターよりコピペ)。

▼ショスタコーヴィチ:弦楽八重奏のための2つの小品 作品11
▼ブラームス:弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品111
▼山中惇史:ラ・ルーチェ弦楽八重奏団委嘱編曲作品
▼メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調 作品20

目的はただ一つ。伊東氏の演奏が聴きたかった。しかもメン八。席はどこでもいいか…と思い、適当な時間に行ったら、すでに列ができていてその先頭近くに、演奏会お仲間がいて・・・特等席で聴くことができた。多謝多謝。

まごうことなきヴィルトオーゾ集団であり、ホールが満席だったのもうなづける。圧倒的な低弦に支えられて、中高弦は自由闊達に踊っていた。

さて。

私は笹沼氏のことを知らなかったのだが、演奏会の数日前に美容院に行き、女性週刊誌でその名前を見た。氏は某宮様のアイドルであるという話。宮様もチェロを演奏なさるからでしょう・・・表現が不敬かも知れませんが、宮様、確かな耳をお持ちであります。

一緒に聴いたお仲間は、若い人の室内楽にしげく足を運ぶ人で、彼女曰く

Er ist ein musikalisches Genie !

(辞書で das Genie を調べたら↑このままの文章があった。ハハハ。)

確かにそうかも。技巧とかそういうものは違うレベルのところで、「すべてフツーにいけちゃう」ぅて感じに思えるもんな。

・・・ということで、アンテナ立てておかなくてはと、思った次第。

2017年10月 9日 (月)

大宮臨太郎&岩崎洵奈(7/6)

2017-2020~ベートーヴェン生誕250年を祝う」というサブタイトルがついている。

2020年の生誕250年を迎えるベートーヴェンの作品を、4年間4回シリーズで演奏していくという企画。

ヴァイオリン、大宮臨太郎氏、ピアノ、
岩崎洵奈氏、ゲストとしてチェロの宮坂拡志が客演。

ピアノソナタ第23番「熱情」
ヴァイオリンソナタ第5番「春」
チェロソナタ第4番
ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」

がお品書きであったのだが、プログラムを紛失してしまいまして、曲順がこうだっかは定かではない。


大宮氏のリサイタルは(客演も含めて〉何度か聴いたことがあるけれど、今宵の岩崎氏との演奏が一番しっくりくるような気がした。ホールはほとんど千葉県の葛飾区。私が行くには首都横断の大旅行(笑)であるが、できることなれば、シリーズ皆勤したいものだ。

さてはて。アンコールが「大公」であり、大宮氏曰く「次回の練習」だそうな。では来年もトリオを演奏するのだな。ゲストは誰かしら・・・と期待してみたり、それはなかろうと思ってみたり。

本命はあっちの次席様なんだけどね。


2017年10月 4日 (水)

五島美術館 ミュージアム・コンサート(7/6)

恒例のクァルテット・リゾッナンツァ演奏会。どうしても来られない年もあったけれど、私には最高のハレであり、しかも今年は meiner Geburtstag  である。これを聴きに来ずして何とする。

ヴァイオリン、白井篤氏&山口裕之氏、ヴィオラ、小野聡氏、チェロ、山内俊輔氏。

「弦楽四重奏曲 第22番 『プロシャ王第2番』(モーツァルト)」。モーツァルのSQは時としてハードなことがある。理由はわからないのだが、胎教音楽の筆頭にあがるような感じではないんだな。もちろん、聞き始めればまごうことなきモーツァルトなのですが。

それは私の勝手な感覚であり、演奏者には何の関係もないはずだが、最初のうちはなんとなく演奏が硬かった・・・・いや違いますな。会場である美術館講堂は、絨毯であり、しかも空調をガンガンにきかせないとかなりの湿気。聴衆が入ればそれは増幅。主催者もそれをわかっていて、聴く側には「講堂内はかなり冷えますので、羽織物をご用意ください」とお願いはしているけれど、それでも、湿気によるチューングの狂いは避けられない。

だからなんてことは、私の勝手な想像ではありますが、第一楽章は、感覚をさぐっていた感ありまして、でも、例年のように、楽章ごとにチューニングをしなくても大丈夫のようでした・・・が・・・いずれやはり、モーツァルトは時として冗長であるような。(←あくまでも私の感覚。)

「弦楽四重奏 第12番 四重奏断章(シューベルト)」。かの「未完成」のごとく、第1楽章と第2楽章(スケッチのみ)の短いこの曲は、初めて聴いた。もちろん予習はしていったけれど、そもそも私の「予習」とは「ながら予習」であり、聴きながら「あっ、ここんとこいいじゃない!」てないい加減なものであり、演奏会で聴くこととは、姿勢からして違う。

であるからして、この曲にはショックを受けた。この日 と同じかな。最近思うのだ。曲の予習とはもちろん、曲そのものを知る意味もあるけれど、作曲家の人生やその思想などに深く入り込んでいくことも大切なのではないか。大野さんはそれを「作曲家と対話する」と表現なさるけれど、演奏家さんの場合は、まずそこにスコアがある。そりゃ聴衆にもスコアを読み込める人はたくさんいるだろうが、私はそれよりも歴史的背景などの方が入りやすい。

余談ではあるが、最近少しだけプロコを聴けるようになったのは、ジダーノフについてお勉強をしつつ、その前のプロコ、その後のプロコについても調べたりしたからだ。

演奏者さまにおかれましては、まだまだ納得いかぬ演奏であったように、お見受けいたしましたので、また機会があれば演奏していただきたく存じ候。

「弦楽四重奏 第15番(ベートーヴェン)」。この曲は敢えてチョイスなさったものであり、その理由もトークで話してくださったけれど、それはシークレットですね。このメンバーでは何度か聴いているのだが、こちらも特別な思いで聴いてしまったので、感慨深いものがあった。

私の仕事は「感謝の気持ち」を身にまとうことが要求される。語弊があるのでその意は省略するが、その弊害とでもいうか、「心から感謝する気持ちとはどこから出ずるのだろう?」といつも思っている。悲しい職業病である。

でも、その答えは最高のハレにあるのだ。この15番を聴きながら、それを感じずにはいられなかった。

さて。

7月6日は私の誕生日であると最初に書いた。

その日に最高のハレがあるだけでも、もう何もいらないほどであったが、終演後に控室におじゃましたら、あの御方とあの御方二人に、お祝いのお言葉を賜った。

もうすっかり舞い上がったのは言うまでもなかろう。

2017年10月 1日 (日)

第835回 定期演奏会Bシリーズ(6/30)

詳細はこちら

今回のプログラミングはすべて「初体験」。都響のサイトに大野さんのプレトークが掲載されていたので、そこで勉強してはいったのだが、大音響ということではなく、あふれだす大野さんの音楽に、溺れかけて危うかったかもしれない。

だからやはり、先週出待ちして、お話すればよかったんだわ。時間の関係もあるけれど、次回公演のことをお聞きすると、それこそ言葉があふれだす御方なれば。

私はスコアから作曲家の思いを感じ取ることはできない。それは大野さんのお役目であり、そこから紡ぎだされる音楽を受け取るのが私の役目だ・・・と勝手に思っているわけで。

評論家諸氏は、演奏そのものに関して、論評を述べるのも仕事であり、切り口がそこからでもいいけれど、私は違う。

だからこそ、まずは演奏される曲を成しえた作曲家について、それなりの知識を持つこと。そして、某大国系作曲家にあっては、時代背景を考えること。ゲンオンの分野にあっては、作曲家自身の言葉を聞くこと。

(この最後の部分に関しては、大野さんは「現代音楽を演奏することの意味は、そこに大きな意義がある」と仰っている。真知亜さんも、作曲家から直接話を聞けることについて、言及されたことがあったな。)

たとえそれがモツベトブラチャイであったとしても。

2017年9月28日 (木)

旅するヴァイオリン vol.65~プロコフィエフの世界 ~(6/21)

ヴァイオリン、白井篤氏、ピアノ、津嶋啓一氏にて。

今宵はオール・プロコフィエフプログラム。

2009年6月9日 。私は恐る恐るイギリス館のドアを開けた。ロシア音楽のタイトルに惹かれて。

あれから8年。あの時に思った「もっとジダーノフ批判を勉強しよう」は、やっとその片鱗を理解できるようになり、そして長らく抱えていたおプロコへの苦手意識も消えつつある。もちろん、自分の努力もあるのだが、白井さんに負うところも大。

イギリス館での楽しいレクチャー。出待ちでのちょっとしたおしゃべり。さながらジグゾーのピースのように少しずつそれは形作られて、私の中のプロコとなったのだ。

であるからして、果たして今宵は実に素晴らしき夜となりぬ。

「5つのメロディ」
「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第2番」
「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第1番」

時に川向うは遠いと感じることもあるが、白井さんがイギリス館で演奏する限り、私はあのドアを開け続けることだろう。


2017年9月24日 (日)

都響 第834回 定期演奏会Cシリーズ(6/21)

詳細はこちら

その前夜どうも熱っぽい。計ってみたら果たして38℃近くある。翌日は休みなれば、早く休んで静養すべきだろうが、明日は大野さんである。聴きに行けねば死んでも死に切れぬ、解熱剤を飲み、毛布2枚にくるまって寝た。

果たして翌朝熱は平熱に下がったものの、さすがにフラフラする。冷蔵庫の中を見たら、おひつにご飯があり、中途半端な豚バラがある。よしっ!病み上がりの朝から焼肉丼を食して元気回復。

そして思う。

「私は演奏会のチケットがある限り死なない。」

前振れが長くなった。

ダンディは聴いたことがなかったので、数日までに予習をした。ををっ!これはこれは。プログラミングの妙としか表現しようもない。癒しの音楽とでも言えばいいか。そして大野さんは、それをその予想通りに演奏されました~。

「牧神」に関しては、そりゃ都響もさすがでしたが、2009年のリヨン があまりにも素晴らしすぎたので、不利だったかもしれませんな、私の中では。

さて。

ベートーヴェンの9つの交響曲のなかで、私は6番が苦手というか好きではない。勝手なる感性が「軟弱」とのたまうんである。であるからして、聴き方もネガティヴであり、かつ、焼肉効果も薄れてきたので、あまり気持ちのこもらない姿勢で聴き始めたのだが。

だがしかしっ!

「田園」とは、こんなに楽しい曲であったのか。これほどにまで鮮やかな色彩感の曲であっのか。・・・ただただ大野さんに感謝するのみで、この感動をお話ししたく思えども、さすがに楽屋口まで行く元気はなく、ましてや本日はダブルにて泣く泣くホールを後にしたのであえりました。

2017年9月 5日 (火)

Ich gern seiner spiel.

(ここにはある演奏会のブログを書くつもりだったのだが、年明け以来私の生活から『保管』という単語が消えてしまっているため、その記録がない。リンクを貼ろうとしたのだが、ホールのサイトにはアーカイブがなかった。ゆえにこのようなタイトルになった。)

6月16日に、チェロアンサンブルを聴きに行った。このいい加減なブログを読んでくださっている皆様はおわかりかも知れないが、単楽器のアンサンブルとは実は非常に地味なものであり、聴く側にもそれなりの覚悟がいる。

それでも、某クァルテットであるとか、このアンサンブル(12名)であるとか、チケットはプラチナチケットと呼ばれ、ゲットするのは難しいのだ。

なぜか。

変わらず聴き続けているファンがいるからだと、私は思う。

私は、N響次席の山内さんのファンである。ご自分でも「自分はオーケストラプレーヤーです」と公言しておられるからでもないだろが、ソロ活動などは(多分)していない。ガチなクァルテットは一つだけ活動していて、それは私の最高のハレでもあるけれど、ま、それは別の話。

それなのに、なぜか追っかけができるのかと言えば、ちょいとカジュアルなアンサンブルのコンサートを、ケーブルイベントとしてやっているからで、このコンサートを世界中で一番数多く聴いている聴衆は私だ。

そもそもなんでそういうことになったのかを、書き始めたら連載になってしまうので省くが、とにもかくにも、私に室内楽の素晴らしさを教えてくれた人が山内さんであるというにとどめる。

年に一度、この御方の貴重なる室内楽を聴けるチャンスがあるのだが、私の仕事の都合で行けない。それはしょうがないことなのだが、その夏の演奏会が母体と言ってもいいような演奏会が、この6月のそれでありました。

昼夜同一公演をちゃんと二回聴きましたですよ。

以前はオケの演奏会は「観賞」で、「鑑賞」は放映でいいや~などとくだらんことを思っていたけれど、さすがに最近はそういうことは減り、だからこそ、室内楽ではそこんとこも楽しめるようにしたいと思う次第。

2017年8月24日 (木)

N響 Music Tomorrow 2017(6/9)

詳細はこちら

例によってプレトークにて女史しゃべりすぎ。作曲者に話を聞けるのは楽しいものではあるが、「世界初演」を聴くのであれば、できれば心は真っ新の状態で聴きたい。女史がゲネで聴いた感想であるとか、曲の詳細であるとか、不要のものと思える。

(大野さんも好んでプレトークをなさるけれど、私たちに先入観を与えないトークをする・・・ほとんど主観的で聞いてる人を置き去りにすることもあるんですが。)

最初の作品は今一つしっくりとこなかった。中途半端な意志を持った音楽とでも言うか。

ターネイジ作品は、楽しみにしていた。昨夏のHibiki で大野さんが「音符で勝負する作曲家」と仰っていたので、ではこの演奏会で演奏される彼の作品はどんな感じでしょうか?・・・をを、ぶんだば!

ソリスト反田氏の素晴らしさは元より、各楽章でガラっと変わる曲想にどんどん引き込まれていくのだった。雰囲気としてはモダンジャズの香り漂う面もあり、2楽章の緩やかなところなど、リッチー・バイラークを彷彿とさせ、心地よさこの上もなかった。

一柳作品&池辺作品。どちらも明確なる意志を持ち、そして、作風も変わらぬベースはあるのだが、私の感じたことは唯一つ。

「弦楽器は弦楽器としての扱いをうけるべきである」

もちろん肯定としての感想なのだが、終演後お会いした某氏。ニコニコとこの思いを受け止めてくださったのでとても嬉しかった。

(一部敬称略)

 

2017年8月 6日 (日)

新国立劇場「ジークフリート」(6/7)

詳細はこちら

願わくば序夜から第三夜まで、4日間連続で聴きたいのがリングではあるが、ちょいと無理な話であり、それでも今年は秋に「黄昏」があるので、まぁ満足。

「ジークフリート」の魅力の一つとして、性格の変化があると思う。ジークフリートしかり。ブリュンヒルデしかり。それが少し大げさすぎたような気もするが、変化するその様は、聴いていて飽きないものがある。

(しかしそれをふまえてなお、私はブリュンヒルデはあまり好きではない。私の解釈がよろしくないのかも知れないが、彼女は最後の最後まで、自らの誇りを糧に行動しているような気がするのだ。彼女の思考はすべて一人称的だと感じる。)

指揮された飯守氏もレクチャーで仰っていたが、この作品は「対話」で構成されているようなものだ。そこにある種難解さがあり、とくにさすらい人(ウォータン)の真意を見極めようとすると、深い闇の中に落ち込んでいくような気がする。

・・・と、わかっていながら、全幕に渡り、そっちの方に意識は傾く。そして、「こんなに登場人物も少ないのであるし、しかもそれほどの演出も必要ないのであるから、こりゃ存外ホールオペラもいけるんじゃないか?」などと、平素とは正反対のことも考える。

(私はホールオペラには否定的である。)

そして、こんな思考に落ちるのは演奏が安心して聴けるからに他ならないと気づいたとき、「黄昏」がとても楽しみに思えてくるのだった。

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