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2016年10月

2016年10月28日 (金)

SALON DE VIOLONCELLO vol.74(10/13)

海野さんのイギリス館、なぜか日程が悪くて不義理が続いていた。久々に行けることになったこの回は、豪華ゲスト様お出ましでしたわ(^.^)。

チェロ、海野幹雄氏、ピアノ、海野春絵氏、ヴァイオリン、松田拓之氏。

「ピアノ三重奏曲『環』(トゥーリナ)」。今回は「あまり知られていない感じの曲を…」とのことで、はい、いきなり、この作曲家知りませんでした。アンダルシアの民族音楽に影響を受けた作品を多く残しているらしい。「夜明け」「正午」「黄昏」の3楽章から成る曲は、確かにそんな感じでありますが、アンダルシアと言えばひまわり。・・・わかる人にしかわからない、ひまわり畑の少佐が目に浮かび、頭の中では毎度お馴染みドタバタ騒ぎであります。

この世界情勢では、少佐が活躍する作品は書けないでしょうね>青池先生

海野さんのイギリス館では、バッハの無伴奏が演奏されるのが倣いでありまして、まずは松田氏のバッハ。

「無伴奏ヴァイオリンソナタ 第1番より 『アダージョ』『フーガ』」。松田さんのバッハは初めて聴いたかも知れない。そして、白井さん以外の演奏は、すべてアンコールとして聴いているような気がする。であるからして、このようなサロンコンサートで、至近距離で聴くと、演奏者のバッハへの畏敬の念に取り込まれてしまう気がする。

(演奏者のすべてが「畏敬」という言葉を口にするわけではないけれど、バッハとは特別な存在であると仰らない人はいない。)

「無伴奏チェロ組曲 第3番より」。先日、全曲演奏会を成されたばかりですが、それでもまた、新たな何かを思うとのこと。実は聴くこちとら、今だ「何番の何」を、覚えきれずにいるわけでして、こちらは低レベルな新鮮さを、常に感じることになるのだな・・・いい加減、覚えろ>自分

「森の静けさ(ドヴォルザーク)」。・・・このコンサートの常連さんであれば、フツーに知っている曲だろうが、チェリストのリサイタルでもなければ、なかなかプログラミングが難しい曲である。スィート・ベイジルで聴いたなぁ・・・あれは幸せな夜だったわ・・・。

「ピアノ三重奏曲『カフェ・ミュージック』(ショーンフィールド)」。今回はこれが聴きたかった。1度だけ、ヴァイオリンが白井さんで聴いたことがあるけれど、この、なんつうか、スピークイージーを彷彿とさせる、ノリノリな感じが好きなんですよ。ピアノも時々ラグだったりしてね。

来月はフォーレ。12月は恒例のチェロ四重奏。・・・行けるかな。

2016年10月26日 (水)

新国立劇場 「ワルキューレ」(10/12)

公演詳細はこちら をご覧下さいませ。

オペラは舞台芸術であり、ホール・オペラはあまり好きでない。それでもワグネリアンの端くれなれば、聴きに行きたいとは思うけど、今年も来年も日程が悪く・・・そして、スケジュール調整を試みてまで無理して行くのも・・・って、どこの上野の話をしておるのだ?>自分

今回の初台リングは、奇をてらった演出ではなく、かと言って前時代的でもなく、ほどほどに遊んでいる部分もあり、それが飯守氏のどっしりと構えた指揮と相まって、ゆったりとした気持ちで鑑賞することができた。

舞台上演は何度か観ているし、youtube でも、CDでも、自分が録画したものでも、散々聴いている。亡き、黒田恭一氏に倣って「リングへの挑戦」をやったこともあるぞ。(何の話かわからない場合は『オペラへの招待(黒田恭一著)』を読んでね。)

てな訳で、そりゃ好きな場面であるとか、もうたまんないぜ!という音楽であるとか、様々あれと、何のかんのと言っても、私はウォータンが好きなんでありまして、神々の長でありながら、「契約」という名のしがらみに縛られ、しかしそこからの抜け道を探そうともし(長のくせに、こすっからいぞ)、そしてそのジレンマの先にある、破滅を予告されながらも、あがく。

陳舜臣氏なら「何と人間くさいこと!」と表現するだろうな。

だからこそ、フリッカは正攻法でウォータンを責め、ブリュンヒルデは「私は貴方のお気持ちを遂行しただけではありませぬか」と、自らも破滅に到る道へと踏み出す。

その布石であるかのような第2幕。

“Nimm den Eid !”

が、いつもに増してグサッと来たな。

初台リング、第二夜は6月、第三夜は10月。楽しみなことだ。

2016年10月25日 (火)

AOW 2016 チャンウォン市立交響楽団(10/7)

昨日と同じ席を買ったら、隣近所もみな同じで、これはたまらんと思ったので、最初から後列に移動。開演直前に飛び込んで来た男性は、やはり昨夜の移動組で、こちらも後列。

来年もこの公演に来ると思うけれど、サイドを買うとしたら最初から後列にしようと思うのだった・・・席移動してすみません\(__ )・・・例え空席であっても、指定席を移動するのは反則行為だと考える。原宿では時々貧民席に移動するが、それは休憩後に空席だと確認できてからにしている・・・それもどうなんだろうね?

指揮、パク・テヨン氏、ヴァイオリン、ボムソリ・キム氏。

「交響詩『中央アジアの草原にて』(ボロディン)」。いかにもって曲なので大好きなんですが、何だかステージに見惚れてしまいまして。昨年のテジョンもそうだったけど(多分、ソウル・フィルもそうだったかも知れない)、韓国オケの女性は、みな黒のパンツスーツを着用している。インナーは襟なしで、何かスマートに思える。ドレスがおかしいということではないけれど、好みの問題だろう・・・なんてことを考えている間に、隊商は去ってしまった。

「ヴァイオリン協奏曲(メンデルスゾーン)」。韓国オケはイケドンオケ。悪い意味じゃない。躍動感溢れる演奏で、私は好きだ。でも、そのせいか、それとも席のせいなのか、時々ソリストの音がマスキングされてしまう気がして、ちょいと惜しかったが、この人は終楽章で変貌するタイプでありまして、見事な盛り上がりを見せました・・・素晴らしかったですよ。

アンコールはイザイという、超豪華なおまけつきでございました。

「交響曲 第6番『悲愴』(チャイコフスキー)」。3楽章で拍手が起きてしまうのは、最初から予想できた。演奏する側も「それもあり」的に捉えていたと思うし。

しばしば多用するが、私は「めりはりのある演奏」を好む。それは決して「ぶちかます所では徹底的にやれ!」なる意味ではなく、聴いている私の心を揺さぶり、この時間が永遠に続くことを願わせるような演奏なんである。今すぐに思いつけないのだが、全体を通して緩徐楽章のような交響曲であっても。ここぞという押さえ処があるんだなぁ・・・私の好みにしか過ぎませんが。

それでも、一番好きな作曲家はチャイコフスキーなれば、まぁ、それなりにはあるのだが、3楽章の後のかなりに拍手を受け、そして終楽章冒頭に、鮮やかに変貌を遂げたオケの色にはゾクッときましたよ。

さてアンコール。

1曲目は「ジャズ組曲 第2番『マーチ』(ショスタコーヴィチ)」。アンコールピースとして演奏することも多いので、聴衆もかなりノリノリになりまして、元旦のラデツキーのごとく、マエストロに促されてみんなで「パンパン」しちゃって、楽しかったですわ。・・・しかし、はっきり言ってこの曲はスーザの曲ですと言われたら信じますな(笑)。

2曲目が「故郷の春(韓国民謡)」。曲名はホワイエの掲示で知ったが、それを見ずともわかりますよ。メロディーラインがそのものなんですから。それで、それを聴きながらふと思った。

アンコールとは、誰がどういう風に決めるんだろう。そりゃあまり長い曲はだめだろうが、指揮者が得意な曲?オケの希望?昨夜のバンコクのブラームスや、今宵のショスタコは、オケがいつも演奏してるアンコールレパなのかも知れない。

それと同時に、海外公演をする場合に、自国の曲を演奏するのも、一つのありかたではなかろうかと思う。日本のオケは何を演奏してるんだろう。クラシック音楽の世界では、日本は後輩でしかない。技術ではなくて歴史ね。そんなこともあって、行った国の作曲家の曲などを演奏するんだろうか?

・・・世界に誇る武満は、本編のためのものだもんね。

世界に誇る?をを、ゴジラがいるではないですか。もしピアニストがいるとしたら、ラヴェルをちとパロって、伊福部作品を演奏するのはどうだろう(笑)?

2016年10月21日 (金)

AOW 2016 バンコク交響楽団(10/6)

(2016年10月6日時点でのブログを書きます。)

アジア・オーケストラ・ウィーク(AOW)とは、文化庁芸術祭主催公演として本年で15回迎える公演である。あまり聴くことのない、アジアのオケを聴けるのだが、12年前にはソリスト故に聴きに行き、5年前には仙台フィル故に聴きに行った。(5年前が西暦何年かご参照下さい。)そして昨年はチャイ5故に聴きに行き、開眼したのだ。

「この公演は聞き逃せない!」

指揮、ミッシェル・ティルキン氏、演奏、バンコク交響楽団。

お品書きを先に書こう。

「『コリオラン』序曲(ベートーヴェン)」
「協奏交響曲(ハイドン)」
「交響曲 第8番(ドヴォルザーク)」

ホールはオペラシティ3階バルコニー。正面に比べると若干音が散らばる感もあるが、ストレートに上がる音は実に気持ちがいいのだがっ!
何度も何度もコンシェルジェがお願いしているのに、ほぼ7割近くが身を乗り出す。ここのサイドバルコニーは見切れ席なんだと、わかって買ってないのか。一曲目で耐えきれずに、一人後方に避難。指定席でそれをしてはいけないと思いつつも、休憩後に私も避難。

ドボ8は実に快適空間で聴くことができましたでございます。

管は素晴らしかった。曲の感想が交錯するが、ドボ8終楽章の金管はゾクゾクするほど。しかしそれは弦が弱いということではないのだが・・・。

ベートーヴェンではそれほど感じなかったが、ハイドンで低弦ソリストの「音」が、私にはあまりしっくりこず、しかし、よくよく聴くとセクション全体として「そういう音」なのだった。こればっかりは好みなので、どうのこうのとは言えないのだが、まさに光り輝くような金管の音と競うとき、地味感を感じたかな。

ごめんね、変なこと書いて。>オケの皆様

だってさ。

アンコールは2曲あったのですが、2曲目は「ハンガリー舞曲 第5番(ブラームス)」で、中低弦素晴らしかったんだもん!スラブ系のオケみたいな音出してましたわ。

さて…と。

アンコールの1曲目は「スウィート・ワード」という曲で、作曲者はプミポン陛下でありました。世界中で最も国民に愛されている国王陛下は、優れた楽曲を何曲も成されて、その一つがこの曲だった。そして、終演後、陛下の作品を唯一収録したCDを頂いて、帰宅して楽しく聴いていたのだが。

その翌日あたりから、療養中の陛下がどうやら重篤らしいとのニュースや、快癒を祈るタイ国民の映像が流れるようになり、この公演の一週間後に崩御された。

ご冥福をお祈りするとともに、頂いたCDを大切に、いつまでも聴き続けようと思うのだった。

2016年10月19日 (水)

Im September bin ich ins Kino gegangen zweimal.

(いい加減オンタイムに追いつかないとまずいのだが…。)

「9月は2回映画に行った」・・・しかも正確には2回目は10月の1週だが、ドイツ語のお勉強もしなければならないので、これでいいや。

観に行ったのは

「超高速!参勤交代 リターンズ」「真田十勇士」 。水曜日が休みだとレディースデーで観られるから・・・というのも、あと数年の話でそれ以降は○ニアだなぁ…(複雑)。

参勤交代の方は、前回見て面白かったからで、十勇士の方は大河のせいでも、豪華イケメン衆のせいでもなく、遙か昔の人形劇が大好きだったからである。

(そして思う。映画を観に行けば、予告編を大量に観ることになるのだが、私は「感動的」「泣ける」の類には、全く食指が動かない。ホラーも嫌いだしジブリも嫌い。推理物は原作がちゃんとしてないとだめだし。じゃぁ、何が好きなのかって、そうだなぁ・・・SWとエヴァは別格として、あとは歴史ものかなぁ?)

ネットで、あれこれレビューは流れていますが、二作品とも「忍び」が大きく活躍しましたな。

我が家には尼子騒兵衛の「落第忍者乱太郎」が全巻揃っている。朝小連載の、子供向け漫画ではあるが、忍者そのものについて嘘は書いていない。「能力」に関しては荒唐無稽な面は多々あれど、ありえない「技」は出てこない。

それに基づいたあまり役にたたない雑学を持って観た映画は・・・面白かったですよ。

とは言え。

歴史であるとか、江戸時代の官僚組織であるとか、そこを突っつくと、それなりにはあるんですがね。

年に数本程度しか観ない私には 映画は「娯楽」であり観た後に「金返せ!」という気持ちにならなければいいんである。十勇士の脚本にはかなり問題があったが、それでも楽しめる部分はたくさんあったからね。

そう。

映画ならそれでいい。

演奏会はそうはいかないんだぜ(笑)。

2016年10月 7日 (金)

都響 第815回 定期演奏会 Bシリーズ(9/20)

マエストロ・インバルに入れあげてる訳ではないが、元々Bシリーズの会員だし、先週は「ザ・グレート」を聴きたかったので、今月2回目のマエストロ。

指揮、エリアフ・インバル氏、ヴァイオリン、オーギュスタン・デュメイ氏。

「ヴァイオリン協奏曲 第3番(モーツァルト)」。「かくあれかし」なる感覚は、ある種独善的なものだろうし、ましてや聴くだけの私には側面しかないわけだが。それでも mein Mozart  ってのはある。あくまでも私の感覚としてであるが、サントリーのような響きのホールだと、身体が浮き上がるような心地になるかな。

編成も小さいので、そこんとこバッチリといけたんですが、ソリストの音に違和感。演奏家の音はその人固有のものであって、七変化のようにコロコロ変わるものではないだろうが、う~ん…これはモーツァルトじゃないみたいで。

キャリア十分のソリストに対して “ Das ist nicht Mozart !”  とはあまりにも失礼な話だが、試しに toutube で検索したらトップにツィガーヌが出てきて、ををっ!・・・魅力はこっちですぜ。別の曲で聴きたかったなぁ。

「交響詩 第8番(ショスタコーヴィチ)」。私は都響会員としては新参者の部類であるので、マエストロの演奏もそれほど聴いてはいないが、大野さんとは別の意味で裏切られたことはない(・・・と、先週書いたばかりのような気がするな)。オケが全幅の信頼を寄せていることがよくわかるし、オケの力を最大限に引き出すことにも長けていると思う。

ショスタコはかなり好きであり、最近は折に触れてジダーノフについてお勉強したり、ソ連とはどういう国であったかを調べてみたりして、曲の内面を理解しようとしている。

(何でそんなことをしているのかと言えば、音楽とは関係のないところで、ロシアが歴史を逆行している気がするので、色々と勉強すれば彼の国の思考回路が少しは理解できるかと考えてるのだ。)

暗い曲であることは事実であり、どっかの書記に批判されたのはわかるぞ。「偉大なるソ連」みたいな曲を書かなきゃならんかったんだしさ。でも、それでも、この曲を成したショスタコーヴィチは何を考えていたのだろう。彼の残した言葉には音楽と同じ二律背反があって、そこんとこをどう捉えるかも難しいもんね。

そんなこんなで淡々と曲は流れていくと思いきや、今宵の金管は鮮やかでしたね。何だか新鮮なイメージを持った。

終楽章、チェロ首席のソロがあるが、古川さんが演奏し始めたら、回り中が身を乗り出したのには呆れた。チェロ首席のソロである。マエストロのすぐ前にいるんだから、身を乗り出して探す必要なんてないだろうに。

2016年10月 5日 (水)

N響 Bプロ(9/14)

シーズン最初はマエストロ・パーヴォ月間でありました。

「交響詩『はげ山の一夜』(原典版)(ムソルグスキー)」。もうかなり前に、アバド/Bhr の来日公演をテレビで聴いた。違和感あったなぁ…。滅多に演奏されない版ですかね?休憩時に知人に聞いてみたら、やはり知人もアバドの演奏しか記憶にないそうな。

「聴き慣れてしまっている」こともあるだろうがリ、ムスキー・コルサコフ編曲版の演奏頻度が高いのは、編曲によって曲が更なる完成型になったのだとも思える。(元の魅力を削ってしまったとの見解もあるが。)

ともあれ、落ち着いた感じになっていたので、今シーズンは期待できそうかね。昨年は聴衆もオケも、とにかくパーヴォ就任のお祭り騒ぎで、何でもありだったから、私は勝手に蚊帳の外にいた。

「ア・ウェイ・ア・ローン Ⅱ」「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」(武満徹)。最近、また武満が苦痛になってきた。第三者的に聴けば、その素晴らしさを感じることもできるのだろうが、私は音楽評論家でもなければ、ライターでもない。だから、無理して聴くこともないのに、なぜか、組まれることが多いんですよね・・・没後○年とは関係なく。

「歌劇『ホヴァンシチーナ』より(ムソルグスキー/リムスキー・コルサコフ)」。なぜこの曲を演奏したのかわからず。マエストロが何か語っていたかも知れないが、武満で疲れてしまったので集中力を欠いた。

「組曲『展覧会の絵』(ムソルグスキー/ラヴェル編)」。ブログの更新がいい加減になってきているし、そもそも読んでくださっている人がいるやもわかりませんが、例えばマエストロの名前で検索しえヒットしたりすると、このブログ主はあまりマエストロが好きではないのか?と思うかも知れない。

しかしながらそれは違う。マエストロがN響の重要なポストについてから、「もうこれで安心」という風な空気が流れ(聴衆にもオケにも)、それに甚だしく反発していたんである。いきなり盛り上がってそれで最高潮に達していいものか。これからさらに高みに登らずしてどうするのだ。あと数年で解散するオケじゃあるまいし。

それでも一年過ぎた新シーズンは、双方の意志を感じ取れる演奏に変化したように思う。躍動的を通り越して「爆発的」な展覧会のような気もしたが、スカッとはしたぞ。

とは言え、スタンスは変わらないだろう。

「聴きたいものを 聴ける範囲で聴く・・・大野さん以外は。」


都響 第813回 定期演奏会Cシリーズ(9/10)

(いつまで周回遅れのようなブログを書いているのだ>自分 しかも日付は前後してるし)

「大野さんがお出ましにでもならなければ芸劇には行かない」・・・と派手派手しく宣言しているはずが、なぜか都響だと聴きに行くってのはなぜだ?演目のせいなんだけど、実のところ、原宿よりも池袋の方が行きやすいのは事実なんだなぁ。

指揮、エリアフ・インバル氏、チェロ、ターニャ・テツラフ氏。

「チェロ協奏曲(エルガー)」。ソリストで演奏会を選ぶことはあまりない・・・というか、実はソリストをあまり知らないんである。そして、何人か、かなり大ぴらに、或いは密やかに追っかけをしている皆さまの演奏で十分なこともあり、そのなんというか、素晴らしい演奏に遭遇したとしても、リサイタルに行こうとは思わない罰当たりですかいな。

ソリストのターニャ様がお目当てで、チケットを買った聴衆多数。もちろんマエストロ言わずもがな。

エルガーに話は戻るが、この曲を聴くとき、私は「孤独」を感じる。協奏曲でありながら、ソリストは内へ内へと、沈み込んでいくような。私の感覚として、エルガーには陰陽双極があるような気がして、その陰極にこのチェロコンは位置するって感じ。

あれこれと考えたいこともあったので、前半は曲を聴きながら思索の交通整理をしていた。時々、心の中がこんがらがることがあり、誰にも邪魔されない空間で、解きほぐす必要がある。病気でも何でもないのだが、とにかくそういう時間が必要なのだ。クラシックの演奏会は、とりあえず演奏中は閉鎖空間であるので、そんなこんなで。

「交響曲 第8番『ザ・グレート』(シューベルト)」。好きな交響曲ベスト5はチャイ5・ベト7・ブラ2・ライン、そしてこの曲になるだろうか。ショスタコもかなり好きだけれど、いつも書くことで、もっともっとジダーノフのお勉強が必要なので、演目に上がったからと言って、諸手をあげて喜んでもいられないのだ。

相変わらず響きすぎの感がある芸劇ではあったが、それを上回ってありあまるほどの、見事な、堂々たる、まさに「ザ・グレート」だったと思う。倍管編成だった(はず)こともあるだろうが、マエストロ・インバルが振るとき、都響の演奏はまさに「王道」をいくと感じる。

(大野さんではそうならないんだなぁ・・・私の感性だろうな。そこんところ、なかなかうまく表現できないんだけれど、11月のマーラーで、答えが出るかも知れない。)

そしてやはり思うこと。

「都響の弦は分厚い。」

(東京芸術劇場 3階A列27番)

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