2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

« 旅するヴァイオリン vol.56 ~スプリング&クロイツェル ~(5/12) | トップページ | マキシム・ヴェンゲーロフ ヴァイオリンの極み(5/23) »

2016年5月19日 (木)

都響 第807回 定期演奏会Bシリーズ(5/18)

終演後思った。定期だからこそできるプログラム。定期だからこそ聴ける作品。私見ではあるが、定期演奏会とは、そのオケから発信されるものであって、そこにそのオケの「意志」を表すものではなかろうか。「名曲」という言葉にも異論はあろうが、いかにも万人向けの曲を演奏するだけでは定期ではないと思う。

(それを「高名な指揮者を招聘すること」で煙に巻いてしまうのが、某放送局系オケであり、最近それがいたく不満で原宿に行かない私だ・・・溜池山王は、それを補ってあまりある響きがあるので通う・・・マーラーでなければ。)

そういう意味において、この都響定期は実に秀逸な企画であったと思う。

指揮、クリスチャン・ヤルヴィ氏。

ペルト :フラトレス~弦楽オーケストラとパーカッションのための(1977/91)
ペルト:交響曲第3番(1971)
ライヒ :デュエット~2つの独奏ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための(1993)
ライヒ:フォー・セクションズ(1987)(日本初演

「ミニマル・ミュージック」という言葉も知らずに、山根明季子氏の「水玉コレクション」を聴いたのが2010年。氏はミニマルとして作曲したわけではないのかも知れないが、ガラスの玉が弾けて欠片が降り注ぐような音が、執拗にリフレインされ、あの時には心がそれに寄り添うことができず、ちと辛かった覚えがある。

あれから時がたち、ペルトは白井さんのおかげで何度か聴く機会に恵まれ、そして、ミニマルを聴く空間に我が身を委ねることへの、戸惑いもさほどなくなり・・・なんと楽しい定期だったことか。

音楽を楽しんでいたわけではない。音楽を媒体(或いは触媒)として、ある時は現実世界が、ある時は仮想世界が、言霊となって目の前に飛び交う。一種のトリップであろうが、こういう機会を自分に与えないと、バランスが保てないことがあるのだ。

巨大な球形の中に、一人で入り、宇宙空間のようなところで、それこそ「心に浮かぶよしなしごと」を考える自分。そこには「不快感を伴う心地よさ」がある。

« 旅するヴァイオリン vol.56 ~スプリング&クロイツェル ~(5/12) | トップページ | マキシム・ヴェンゲーロフ ヴァイオリンの極み(5/23) »

音楽・ドイツ語」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2003008/65573733

この記事へのトラックバック一覧です: 都響 第807回 定期演奏会Bシリーズ(5/18):

« 旅するヴァイオリン vol.56 ~スプリング&クロイツェル ~(5/12) | トップページ | マキシム・ヴェンゲーロフ ヴァイオリンの極み(5/23) »

ブログパーツ

  • by 無料ブログパーツ製作所
    [PR]