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2016年1月21日 (木)

N響Bプロ(1/20)

はてさて。

N響とマエストロの共演は2008年と2013年にあったらしい。2008年は聴いていない。2013年のブログを読み返してみると、ははんと思い当たる節多々。

指揮、トゥガン・ソヒエフ氏、ピアノ、ルーカス・ゲニューシャス氏。

「歌劇『ルスランとリュドミーラ』序曲(グリンカ)」。オケの演奏会は今年になって初めてのことで、ほぼ一ヶ月ぶりとなる。久々のオケでサントリーとなれば、あぁ、何と心地よいことかと思ったのも束の間、なして降りなんすかぁ?旅付きなれば当然乗りと思い、しかもこの曲の見せ場にはなくてなならぬパートなのに…ブツブツ…と曲は終わってしまった。

「ピアノ協奏曲 第2番(ラフマニノフ)」。まっこと不遜ながら、この曲jは冒頭の鐘の音にて、決まってしまう私。それが納得できるものであれば、後は全体を感じるのみにて、この「超・有名曲」を聴く姿勢に入る。

N響でも都響でも、マイシートはRA。総合的な響きではいさかの瑕疵はあろうが、「今、ステージで何が起こっているのか」がよくわかる。事故が起こっているとかそういう意味ではなく、指揮者が、オケが、音楽をつくり出すその様がよくわかり、それがとても面白いのだ。

・・・と、そこで気づいた。これでこうなるのか?指揮に関して勉強したことも、調べたこともないので、変なことを言ってるかも知れないが、打点のトップ以外が見えない。演奏者にはちゃんと理解できているとは思えど、あの指揮からあの音楽を生み出すには、絶妙なる阿吽の呼吸があるか、或いはコンマス以下、各パート首席に並々ならぬ力量(洞察力)があるか、そのどちらかではないのか?

悩みつつ協奏曲は終了した。

「バレエ音楽『白鳥の湖』より(チャイコフスキー)」。

“Ja, ich vershtehe.”

(勝手に思うな>自分)

欧米ではオペラやバレエを振ることは、指揮者のキャリアに必須であると聞いたことがあり、事実長けている人も多いし、座付き指揮者としてスタートすることも普通らしい。となれば、このマエストロの指揮はピットにおけるそれに近かったのかも知れない・・・と、帰宅後プロフィールを読んで納得していたりするのだった。

それで演奏はどうだったのかと言えば、第2幕の「四羽の白鳥の踊り」で、不意に「伊賀のカバ丸(亜月裕)」のバレエモードに入ってしまい、もう笑いでひきつけを起こしそうになり、これではならじと必死に立て直そうと試みるも、今度は聖真澄(@「スワン(有吉京子)」)である。いい加減にしろ!であるが、つまりは「パ・ダクシオン」ぐらいまでは、マイムが見えてくる演奏ではあったのだ。

「それが消えてしまった」と、表現してるミク友つながりさんがいたけれど、まことにしかりですな。いい表現としての「劇判音楽」から「演奏会音楽」に変化した感あり。もちろんそれで良かったんでしょうけど。でもそれを生み出すために、みなさま必死だったような気もしますね。

・・・てなことを、冷静に考え始めたのは実は終演後のことで、聴いている間は聖真澄モードから抜けられず、モスクワで踊った時の解釈であるとか、コンクールでのまさに教則本のようなオディールであるとか、すべてをドゥーブルで回ったライサのフェッテであるとか、漫画とは偉大なものである。

(そして今、これを書きながらコレーラ様@ABTを鑑賞中。)

定期演奏会としては、満足すべきものであっただろう。聴衆の反応もそうだったし。ではマエストロの音楽をどう捉えるべきか。先週のCプロを聴かなかったことを、かなり後悔している今。

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