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2014年6月30日 (月)

N響 MUSICTOMORROW 2014(6/27) 

「音友」の今月号には、大野さんのインタビューが掲載されていて、そこで大野さんが現代音楽を(ゲンオン)演奏することとは、どういうことなのかを語っている。その語っていることが、常日頃、私が思っていることと同じだったので(もちろんレベルは違うけど)、それがとても嬉しくて、かなりウキウキと出かけて行ったのでありました。

指揮、高関健氏、トランペット、イエルーン・ベルワルツ氏。

「Utopia ~どこにもない場所 作品142〔N響委嘱・世界初演〕(権代敦彦)」。

「Es・C・D」の三度の下降音型によって支配される曲だった。もちろん、ヴァリエーション様々であったけれど、常にどこかでその音型が動いている。そしてその執拗な一種リフレインは、荒廃した大地に、ドアが現て、それをただただ開いている私の姿を、映し出すのだった。

ドアは無限回廊のように現れ続け、どれほど開けても、決してユートピアには辿り着けない。ドアの話は比喩だけれど、演奏者さんも、そういう感覚で演奏してたみたい。

「トランペット協奏曲『霧の中で』(細川俊夫)。マイルス・デイヴィスが降臨したかのような、圧倒的存在感のトランペッターだった。作曲者の細川氏は、ソリストをシャーマンとして位置づけしていたけれど、ふむ、そういう意図を直接的に言葉として聞ける、それがゲンオンの醍醐味であろうか。

弱音器を通しての音、マウスピースをはずした音、その一種不透明さが、霧を想起させると言ったら、短絡的だろうか?

「第62回神宮式年遷宮奉祝曲 交響詩『浄闇の祈り』(猿谷紀郎)」。標題音楽として成したわけではないとのことでしたが、各楽章にタイトルがあるので、プログラムを先に読んでしまうと、それに引きずられるし、毎回のことながら、プレトーク女史が、曲の解説をかなり丁寧にしてしまうので、ちょいと・・・。

聴く側に、女史の感性を刷り込むような解説は不要なんだな。

まぁ、それがなかったとしても、少々、とらえどころのない曲ではあった。曲のタイトルだけを見れば、雅楽的なものを想像するけれど、そうではない、それは作曲者もそのようなことを話していたし、「そのもののある空間」に流れる音の表現だあったかと思うが、どうも、いまひとつ・・・。

そこには全く別の時間が流れているべきであろうが、そこまで表現しきれていない?

なかなかに難しいものですな。

(オペラシティ 1階 4列 11番)

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