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2014年5月 2日 (金)

SALON DE VIOLONCELLO VOL.50 (5/1)

記念すべき第50回は2つの協奏曲。

敬称略にて。

チェロ:海野幹雄
ピアノ:海野春絵
ヴァイオリン:白井篤・三又治彦
ヴィオラ:手塚貴子
コントラバス:富仲絵理

「チェロ協奏曲 第1番(サン=サーンス)」。ほぼ単楽章として演奏されるこの曲は、短調の曲でありながら、最後には何やら明るい感じになって終わる。海野さん曰く「それがメンデルスゾーン的でして、そもそもメンデルスゾーンには、演奏者が恥ずかしくなるほどに、最後が幸せそうになって終わる曲が多いんですよね。」 Das ist richtig !  私のブログを読んでくださってる人は、メンデルスゾーンを書く時にしばしば「幸せという名のの守護天使」と表現することに気づいているかも知れない。それは私の感性であって、誰かに共感してもらいたいわけではないのだが、海野さんの言葉に、勝手に我が意を得たりと思う自分がいたりしてね。

帰宅して調べてみたら、N響の定期で2回聴いていて、どちらの感想も「単楽章的に演奏されると、とても魅力がある」と書いている。ふむ、感性とは、それほど変化しないものなのだな。

「無伴奏チェロ組曲 第3番より(バッハ)」。いついかなる時も、必ず演奏なさるバッハ。そして、何度聴いても、「何番の何」を覚えられない私・・・ヴァイオリンの方も同じ。曲の区別がつかないわけじゃないんだけれど、バッハの無伴奏は、聴くことにエネルギーを吸い取られてしまうので、いつもそこで終わってしまう。聴くことは好きなんだけれど、何というか、そこから先は、演奏しない私には、決して踏み入れることのできない世界があるような気がするんだ。

「チェロ協奏曲(シューマン)」。この曲をホールで聴いたことはないわね。某アマオケで某チェリスト様が演奏した曲なんですけれど、アマオケの本番は日曜日の昼間が多いので、行けんかった。

病で不幸な晩年を送った作曲家は少なくないだろうが、シューマンはその作品と結びつけられることが多い。発症する前の輝きとの落差が、あまりにも激しいのかも知れないけれど、それは演奏する側にしかわからない部分もあるのかも知れない。聴く側の私は、輝きをなくしたその一種難解さに、深い闇のようなものを感じていればいいのだけれど、音楽的にありえない流れであるとか、聞くに堪えない和声であるとか、そういうものもあるのかも知れない。

ヒジョーに変な例えになるけれど、商品としてどうよ?と感じるものも、陳列しなきゃならないことは、往々にしてあって、でも、お客様はそうは思わなかったりするのよね。なかなかに難しい。

この曲は、そういうことと、あまり関連づけられない時期に書かれているのですが、なぜか高音が多くて、チェロにはかなりハード、高度技術が必要らしいのです。さすがの海野さんも、汗ダクダクでした。

ホールが大きかろうと小さかろうと、聴衆が何人いようとも、演奏会は演奏会であり、聴衆を迎えるならば、練習して披露しなければならない。それを、ほぼ毎月、5年間続けてこられた海野さんですが、これからも、まだまだ続けていかれるそうです。

私も頑張って通わなくてはなりません。

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