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2017年9月24日 (日)

都響 第834回 定期演奏会Cシリーズ(6/21)

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その前夜どうも熱っぽい。計ってみたら果たして38℃近くある。翌日は休みなれば、早く休んで静養すべきだろうが、明日は大野さんである。聴きに行けねば死んでも死に切れぬ、解熱剤を飲み、毛布2枚にくるまって寝た。

果たして翌朝熱は平熱に下がったものの、さすがにフラフラする。冷蔵庫の中を見たら、おひつにご飯があり、中途半端な豚バラがある。よしっ!病み上がりの朝から焼肉丼を食して元気回復。

そして思う。

「私は演奏会のチケットがある限り死なない。」

前振れが長くなった。

ダンディは聴いたことがなかったので、数日までに予習をした。ををっ!これはこれは。プログラミングの妙としか表現しようもない。癒しの音楽とでも言えばいいか。そして大野さんは、それをその予想通りに演奏されました~。

「牧神」に関しては、そりゃ都響もさすがでしたが、2009年のリヨン があまりにも素晴らしすぎたので、不利だったかもしれませんな、私の中では。

さて。

ベートーヴェンの9つの交響曲のなかで、私は6番が苦手というか好きではない。勝手なる感性が「軟弱」とのたまうんである。であるからして、聴き方もネガティヴであり、かつ、焼肉効果も薄れてきたので、あまり気持ちのこもらない姿勢で聴き始めたのだが。

だがしかしっ!

「田園」とは、こんなに楽しい曲であったのか。これほどにまで鮮やかな色彩感の曲であっのか。・・・ただただ大野さんに感謝するのみで、この感動をお話ししたく思えども、さすがに楽屋口まで行く元気はなく、ましてや本日はダブルにて泣く泣くホールを後にしたのであえりました。

2017年9月 5日 (火)

Ich gern seiner spiel.

(ここにはある演奏会のブログを書くつもりだったのだが、年明け以来私の生活から『保管』という単語が消えてしまっているため、その記録がない。リンクを貼ろうとしたのだが、ホールのサイトにはアーカイブがなかった。ゆえにこのようなタイトルになった。)

6月16日に、チェロアンサンブルを聴きに行った。このいい加減なブログを読んでくださっている皆様はおわかりかも知れないが、単楽器のアンサンブルとは実は非常に地味なものであり、聴く側にもそれなりの覚悟がいる。

それでも、某クァルテットであるとか、このアンサンブル(12名)であるとか、チケットはプラチナチケットと呼ばれ、ゲットするのは難しいのだ。

なぜか。

変わらず聴き続けているファンがいるからだと、私は思う。

私は、N響次席の山内さんのファンである。ご自分でも「自分はオーケストラプレーヤーです」と公言しておられるからでもないだろが、ソロ活動などは(多分)していない。ガチなクァルテットは一つだけ活動していて、それは私の最高のハレでもあるけれど、ま、それは別の話。

それなのに、なぜか追っかけができるのかと言えば、ちょいとカジュアルなアンサンブルのコンサートを、ケーブルイベントとしてやっているからで、このコンサートを世界中で一番数多く聴いている聴衆は私だ。

そもそもなんでそういうことになったのかを、書き始めたら連載になってしまうので省くが、とにもかくにも、私に室内楽の素晴らしさを教えてくれた人が山内さんであるというにとどめる。

年に一度、この御方の貴重なる室内楽を聴けるチャンスがあるのだが、私の仕事の都合で行けない。それはしょうがないことなのだが、その夏の演奏会が母体と言ってもいいような演奏会が、この6月のそれでありました。

昼夜同一公演をちゃんと二回聴きましたですよ。

以前はオケの演奏会は「観賞」で、「鑑賞」は放映でいいや~などとくだらんことを思っていたけれど、さすがに最近はそういうことは減り、だからこそ、室内楽ではそこんとこも楽しめるようにしたいと思う次第。

2017年8月24日 (木)

N響 Music Tomorrow 2017(6/9)

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例によってプレトークにて女史しゃべりすぎ。作曲者に話を聞けるのは楽しいものではあるが、「世界初演」を聴くのであれば、できれば心は真っ新の状態で聴きたい。女史がゲネで聴いた感想であるとか、曲の詳細であるとか、不要のものと思える。

(大野さんも好んでプレトークをなさるけれど、私たちに先入観を与えないトークをする・・・ほとんど主観的で聞いてる人を置き去りにすることもあるんですが。)

最初の作品は今一つしっくりとこなかった。中途半端な意志を持った音楽とでも言うか。

ターネイジ作品は、楽しみにしていた。昨夏のHibiki で大野さんが「音符で勝負する作曲家」と仰っていたので、ではこの演奏会で演奏される彼の作品はどんな感じでしょうか?・・・をを、ぶんだば!

ソリスト反田氏の素晴らしさは元より、各楽章でガラっと変わる曲想にどんどん引き込まれていくのだった。雰囲気としてはモダンジャズの香り漂う面もあり、2楽章の緩やかなところなど、リッチー・バイラークを彷彿とさせ、心地よさこの上もなかった。

一柳作品&池辺作品。どちらも明確なる意志を持ち、そして、作風も変わらぬベースはあるのだが、私の感じたことは唯一つ。

「弦楽器は弦楽器としての扱いをうけるべきである」

もちろん肯定としての感想なのだが、終演後お会いした某氏。ニコニコとこの思いを受け止めてくださったのでとても嬉しかった。

(一部敬称略)

 

2017年8月 6日 (日)

新国立劇場「ジークフリート」(6/7)

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願わくば序夜から第三夜まで、4日間連続で聴きたいのがリングではあるが、ちょいと無理な話であり、それでも今年は秋に「黄昏」があるので、まぁ満足。

「ジークフリート」の魅力の一つとして、性格の変化があると思う。ジークフリートしかり。ブリュンヒルデしかり。それが少し大げさすぎたような気もするが、変化するその様は、聴いていて飽きないものがある。

(しかしそれをふまえてなお、私はブリュンヒルデはあまり好きではない。私の解釈がよろしくないのかも知れないが、彼女は最後の最後まで、自らの誇りを糧に行動しているような気がするのだ。彼女の思考はすべて一人称的だと感じる。)

指揮された飯守氏もレクチャーで仰っていたが、この作品は「対話」で構成されているようなものだ。そこにある種難解さがあり、とくにさすらい人(ウォータン)の真意を見極めようとすると、深い闇の中に落ち込んでいくような気がする。

・・・と、わかっていながら、全幕に渡り、そっちの方に意識は傾く。そして、「こんなに登場人物も少ないのであるし、しかもそれほどの演出も必要ないのであるから、こりゃ存外ホールオペラもいけるんじゃないか?」などと、平素とは正反対のことも考える。

(私はホールオペラには否定的である。)

そして、こんな思考に落ちるのは演奏が安心して聴けるからに他ならないと気づいたとき、「黄昏」がとても楽しみに思えてくるのだった。

2017年7月27日 (木)

日本フィルハーモニー交響楽団 第690回東京定期演奏会(5/26)

私はワグネリアンの端くれである。どの程度かと言えば「ワグネリアンの事務所の電話番の横で床磨きをしている」ぐらいだが(笑)。

とは申せ、いわゆるホール・オペラはあまり好きではない。それがここ数年の東京春祭に欠席している理由の一つではある。(もちろん仕事が休めないこともあるが。)

その観点から言えば、この演奏会も敢えて行く必要はなかったのだが、知人のワグネリアンから、マエストロのワーグナーがなかなかによろしいと聞き、かつ、ウォータンのキャスティングにも惹かれ、そして(ここんとこが大事なのであるが)、チケ代のリーズナブルさにも惹かれ上野の1階で聴いた。

日フィルサイトにアーカイブがないので、ホールに詳細のリンク を貼るけれど、リンク切れしいたら勘弁。

結論。

「最低限の演出で見事に描き出す秀逸なる舞台」。

歌手陣は幅4尺ぐらいの空間で、マイムをしながら歌う。小道具がないだけ。もちろん譜面なし。さすがに巨人は無理だったろうが、その他の登場人物すべて、その役どころ(性格)に合った衣装で歌い、そして簡略化してはあるが、演技をする。

ラインの乙女たちが、ステージに座りヒソヒソ話をしているだけでも、陽気ではあるけれど軽薄でもある彼女たちの性格がよくわかる。

アルベリヒの鈍重とでもいえる動きと必死な表情が変化していく様が、好色から支配欲への変貌を描き出す。

上野では高層階を好む私でだるが、今宵に限っては1階でよかったと思うのだった。

もちろん、総合芸術とは言え主役は「歌唱」。ウォータンにキレがなかったのが、少し残念だった。

カーテンコールで万来の拍手をもらったのは、アルベリヒであったが、この日は急遽代役にたったローゲの西村氏が抜きん出ていたように感じた。

びわ湖で3月に歌っていたとはいえ、あの存在感はすごい。赤いマフラーの使い方で。ローゲのすべてを表現しながら、歌い上げる。元々好きなテナーさんではあったけれど、ますます惚れ直しました。

東京春祭のワーグナーを否定するつもりは毛頭ないのだが、日フィルが「定期」で、これだけのものをやれるんである。せめて歌手の譜面台なしぐらいは、やれたのではないか。ふとそう思った次第。

2017年7月26日 (水)

旅するヴァイオリン vol.64 ~ヴァイオリン Duo の世界 ~(5/22)

ヴァイオリン、白井篤氏&坂本瑠美氏。

最初にバカ話を書こう。演奏家さんたちがプロフィールに使う写真は、大体は自分で用意するものらしい。無頓着な人は若い頃の写真をいつまでも使っていたりしてね。そして時に「写真に騙された~」と嘆くこともある。

お前は何をもって行く演奏会を決めているのだ>自分(笑)

しかしながらその逆もあるもので、坂本さん、貴女、プロフィール写真よりずっとずっと可愛くて素敵じゃないの~~~。

かくして美男美女のデュオが始まりぬ。

「44のデュオより(バルトーク)」

「デュオ コンチェルタンテ 第1番(ベリオ)」

「2つのヴァイオリンのためのソナタ 第5番(ルクレール)」

「2つのヴァイオリンのためのソナタ(プロコフィエフ)」

基本、私は低弦が好きであり、その下支えの元、自在に動く高弦を愛している。(パッサカリアは別ね。)しかし、この高弦デユオは、まぁ何と魅力的なこと!

オペラの女声二人のアリアのようでした。

お二人とも「またやりたい!」と話しておられましたので、大いに期待したいところです。

(音質もシンクロしていたのかも知れませんね。)

2017年7月24日 (月)

5月

.N響ゴールデン・クラシック

色々と思惑はあれど、やはりチャイ5なれば2楽章。

「キャぁ~、素敵でした~っ!嬉しかったよぉ~っ!」などと楽屋口で騒いでしまったとしても、ニコニコと「ありかとね~」と言っていただけるのは幸せだと思った次第。

2.第831回 定期演奏会Bシリーズ

申し訳ありません。すでに記憶の彼方。

3.N響 水曜夜のクラシック(第二夜/3回シリーズ)

チャイコンでのソリストの「p(ピアノ)」が、妙に力がないことが気になった。そして逆に、「乱暴?」とも思えるほどの「f(フォルテ)」には違和感を感じた。とは申せ、それがソリストの意志なのか、マエストロの意図なのかは不明。

ロシア物のN響の音は、重く、かつ泥臭い。私の好みだな。

あと2回、演奏会があったのだが、それは別に。

2017年6月14日 (水)

演奏会のお知らせ

♪演奏会のお知らせ♪

『旅するヴァイオリン vol.65』 ~ オール・プロコフィエフプログラム ~

2017年6月21日(水) 18:45 開場 19:00 開演

     於 横浜イギリス館

(みなとみらい線 元町・中華街駅下車 徒歩7分)

全席自由 一般 2000円 学生 1000円

ヴァイオリン:白井篤さん(NHK交響楽団)

ピアノ:津島啓一さん

~プログラム~

ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第1番

ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第2番

5つのメロディ

 

☆白井さんの楽しいトークを交えたサロンコンサートです。

  予約は不要です。直接会場にお越し下さいませ。


(白井さんのご許可をいただいて宣伝しております。)

l'atelier produce series N響メンバーによるピアノトリオコンサート(4/28)

ホールというかスタジオでこのような場所

以前、青山にも似たようなスタジオがあって、やはり定期的にN響メンバーが演奏していたけれど、今、あそこはどうなっているんだろうか?特殊なスタンスだったから、もう閉じてしまったのかな?こちらは弦楽器奏者には必須の場所だから、だいじょうぶだろう・・・なんてくだらぬことを帰途に考えていた。

ヴァイオリン、大宮臨太郎氏、チェロ、山内俊輔氏、ピアノ、重松華子氏。

「ピアノ三重奏曲 第7番 『大公』(ベートーヴェン)」。自由席だったので、いつも通りの自分の時間で並び、当然のごとく指定席に座ったのだが、はっきり言って「聴く」席ではなかった。響きも何もあったものではない「素の音」を堪能する席であった。

(演奏する側も当惑の距離だったらしく、終演後の第一声は「やべーと思った」だった。連れは「弓がこちらに当たるかと思いました」・・・てな感じ。でも、その後にあれやこれやと、ためになり、かつちょいと嬉しくなる話になったので、私は大満足なのだった。)

ということで、最初の大曲はポジションを整えることで終わった感あり。

「パッサカリア(ヘンデル/ハリヴォルセン)」。これが微妙な話なのである。カジュアルでヴァイオリンvsヴィオラを聴き続けているからでもないだろうが、vsチェロになると、伝道師様仰る「バトル感」が希薄になり、フツーのデュオに聞こえてしまう。そしてそうなると、う~む、そういうことなんだよなぁ。

(それは私だけの感覚かと思っていたら、お仲間すべてが思っていることなのだった。同じ人を好きになればこその感性の調和だわな。)

「プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ(クライスラー)」。あたしゃ弦楽器の知識もないし、演奏技術を論ずる資格もないけれど、だからこそ、もう15年以上も聴き続けていて、自分なりに思うことはあるし、それを咀嚼もしてきた。そしてその結果として、私の中で次席のポジションは確立されたし、もうそれをどうこうするつもりもない。

やっぱ臨太郎君の演奏、好きだもんさ。

「ピアノ三重奏曲 第1番(メンデルスゾーン)」。通称メントリ。最初の低弦がやたら素敵なんである。かつてそのメロディーのところを編曲して歌詞をつけ、「こわれそうなほほえみ」という曲で「みんなのうた」で放映しておりました。

ところが・・・でもないな。私は私で、そうやってこの曲を楽しむわけですが、実はピアノがとてもとても大変なのだそうです。

「楽譜が音符だらけ」ですって。

その説明を聞いてから聴いたら、なるほど、こりゃピアノは休むヒマなどないわねってなもんでして。でも、ピアニスト様、頑張りましたですわ。

2017年5月26日 (金)

4月

備忘録として記録は残そうと思うので羅列にて。リンク切れしてたらごめんなさい。

MAROワールド vol.31 (4/6)

ドヴォルザークはヴィオリストであったと思うが。それでも私は感じる。「チェロを愛したドヴォルザーク、ドヴォルザークに愛されたチェロ。」と。j和音様のピアノは言わずもがなであるが、若きチェリストにショックを受けた。

東京・春・音楽祭 ~ にほんのうた Ⅶ ~ (4/14)
 
いつまでもいつまでも、歌い継いでいきたい「文部省唱歌」。

都響 第829回 定期演奏会Bシリーズ (4/18)

主幹氏の「あっという間の50分」との言葉を、まさにその通りだと思った。マエストロの音楽は、時に私の感性とそり合わないことがあるのだが(←偉そうだな>自分)、逆にハマると媚薬のごとく幻惑される。オケとの相性もよろしいのかも知れない。

芸劇 ブランチ・コンサート〜清水和音の名曲ラウンジ〜 (4/26)

私はいつから和音様の密かなファンになったんだろう。(なぜ「密かな」なのかと言えば、ファンと公言するにはそれなりに足を運ぶとか、追っかけるとか、するべきことがあると思うのだ。そこまでは動いていない私であるからして。)81年のロン・ティボーで優勝したときに総長がラジオでインタビューすることを総会で話して、「和音さん素敵ですよね」との私のひと言で、回りがクイズの答えを書き損ねた・・・ってことがあったのだから、それよりも前のことだろう。

いつの間にか。大野さんと同じだな。

N響 水曜夜のクラシック(第一夜) (4/26)

原宿は若者の街・・・と言うと年寄り臭いが、私がN響AC定期にあまり行かなくなったのは、ホール前の喧噪に耐えられないからという理由がある。開演間も終演後も、ホール前には異次元の世界があり、ワクワク感も余韻もかき消されてしまう。それが週末のホール前。

それがどうだろう。水曜日の夜、そこには静寂がある。そりゃ原宿駅前は平日とて異国人あふれ賑やかではあるが、代々木公園の前からホールまで歩く間に、だんだんと暮れゆき静けさがあふれ出し、そして演奏会に向かって心が高まるような、落ち着くような。

平日の夜では、興行的採算は見込めないと思うが、NHKホールの移転話は消え、そしてあそこをフランチャイズとし続けるのならば、年に数回ぐらい、こんな演奏会があってもいいじゃないか。

4月はあと一回あったのだが、備忘にはできないものなので、きちんと書くつもり。

«東京・春・音楽祭 シューベルトの室内楽 Ⅰ(3/31)

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